進化論と目



上記のように脊椎動物の目は複雑な構造であり、どれか一つでも要素が欠けると正常な視力が得られないと考えられるとして、しばしば創造論者によって「最初から完全な状態で作られていなければ目は目たりえない」として進化論の否定的な例の引き合いに出される。創造論者によって、『種の起源』の著者であるチャールズ・ダーウィンが、これをうまく説明できないことを「自論の欠点」としていたと誤った引用がなされることもある[1]。 これに対しては「動物が陸上に進出する前はより単純な目で視覚が得られた(具体的には角膜などを必要としない)」「そもそも原始的な生命は鮮明な視覚を必要としなかった」などの再反論がなされる。また、完全な視覚がなくとも生活可能であることは、近視や乱視を矯正せずに生活している人間が多く存在していることからも明らかである。さらに、動物界を広く観察すれば、実に様々な段階の眼が存在し、それらの性能も実に様々であることが分かっており、現在の知見ではむしろその進化をたどることが可能な面も多い。 タコの目とヒトの目は良く似ているが、発生生物学的には、発生様式が異なるので収斂進化による相似器官だと言える。一方、分子生物学的には、タコとヒト(に限らずさまざまな門に属する動物)の目は、よく似た塩基配列の遺伝子の発現によって生じるので、適応放散の結果発生様式が違うようになった相同器官だと言える。
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